2023年 第29回日本野生動物医学会大会
獣医師 岩尾一
【序】高ナトリウム血症, 高クロール血症は, 摂餌不良, 脱水等の背景がある鯨類でよく見られる症状である. 家畜同様, 飼育下鯨類においても, 電解質異常の治療には静脈輸液が一般に行われているが, 経過の十分な記載例は少なく,輸液量, 輸液速度, 輸液剤の選択は経験に大きく依存しているのが現状である. 高ナトリウム血症, 高クロール血症および高脂血症を呈したカマイルカで静脈輸液処置を行った結果を報告する.
【症例および臨床経過】2023年2月14日(1病日), 砂浜に座礁したカマイルカ(雄, 85 kg, BCS 4/4)を保護. 遊泳困難なため水深の浅い簡易プールで管理した. 収容時の血液検査で強い炎症反応があった以外, その他の検査所見に顕著な異常はなかった.2病日から自発摂餌(約 4 kg/日)をしていたが, 8病日から摂餌量が減少し出すと(約1-3 kg/日),血中ナトリウム(Na), クロール(Cl)および中性脂肪(TG)の上昇傾向も出現した. 30病日にはNa, Cl, TGはそれぞれ170 mEq/L,140 mEq/L, 505 mg/dlに達し, 体重減少も進んでいた(60 kg, BCS 1/4). そのため, 静脈輸液治療を30病日から開始した. 1日の目標輸液量は, 以下の式から水分欠乏量(L)を推定して,決定した.体内水分量(TBW)=体重(kg)×0.7(除脂肪体重係数)×0.7(除脂肪体重中の水分係数), 水分欠乏量(L)=TBW×(当日のNa値/155-1). 目標とする輸液速度とNa補正速度はそれぞれ5-10 ml/kg/h, 1.0-2.0 mEq/L/h として, 輸液製剤を適宜選択した. 輸液処置は, タンカでの保定下で背鰭もしくは尾鰭の静脈を使用して行った. 輸液処置を開始した翌日から Na, Cl, TGの改善が見られ, また自発摂餌量も増加した(約4-5 kg/日). 輸液処置は30-39病日, 43病日に実施し, Na・Cl, TGの正常化はそれぞれ43, 82病日に確認した. 一日の輸液量, 輸液時間, 輸液速度, 推定Na補正速度の平均値±標準偏差はそれぞれ1.6±0.4(L), 3.3±0.8(h), 8.2±1.8(ml/kg/h), 1.71±0.72(mEq/L/h)であった. 43病日以降の摂餌量は5-6 kg/日に増加, 運動能力の回復も進み, 82病日には放流に至った.
【考察】家畜の高ナトリウム血症の静脈輸液治療では, 急激なNa補正に伴う脳浮腫予防のため, Naの補正速度は, 24時間あたり10-12 mEq/L程度(約0.5 mEq/L/h)が推奨されている. しかし, 鯨類の飼育現場では人員, 時間, 動物の行動抑制等が制限要因となり, 静脈輸液によるNa補正は, 一日一回、数時間のうちに1.0-2.0 mEq/L/h程度の速度での補正がよく行われている. 本症例も同様の速度で処置を行い, 特段の問題は見られなかったが, 安全性については今後も検証を続けていく必要がある. Na, Clの高値に随伴してTGの高値が出現した. 輸液処置によるNa, Clの改善と連動してTGも低下したことから, TGの高値は水分欠乏に伴う代謝状態を反映したものと考えられるが, 機序については明確ではなく, 今後, 類似の他症例との比較が必要である.